映画『RE:BORN』(下村勇二監督)

 友人の誘いで加賀市文化会館における試写会に足を運びました。

 事前調べで主演のTAK∴さんのアクションがすげぇ、という話だけを仕入れて参上仕った訳でございますが、前情報通りの素晴らしいアクション。クソの極みの視聴環境(文化会館やし)でありながら、見入ってしまいました。


 とはいいながら
 観ながら考えていたのは、「絶対大ヒットはしない」という確信。だってわかんないもんね。坂口さんが異常な動きしててもわかんないもんね。斉藤工目当ての女の子が溢れた会場は微妙な空気に包まれたわけです。

 個人的に、この手の映像世界において前提条件としての「リアル」という言葉がCG普及前後で完全に意味をたがえていると思っています。受け手の我々の認識は「何やろうが映像上実現できるんでしょ」と無意識に思っている。
 そう、無意識に。

 故にこの映画のアクションは大衆には理解されないのです。CGを用いずに限りなく現実に基づいたであろうこの映画のアクションは、その前提に立たなければ理解されない。切ないなと思いながらの視聴でした。

 全体を通して言えば、ストーリーはクソです。アクションを観る映画なのでそれはいいとして、マイナスなところを言えば、この手の映画を2016現在に撮るのであれば、受け手に「それはリアルじゃない」と思わせる全てを、細心の注意を払って無くしていかなければいけないんだと思います。元特殊部隊の凄腕がコンビニの店員をやるのはいいがその店員っぷりは完璧でなければいけないのです。
なぜなら生活費のためにコンビニやってると思われるから。
コンビニ強盗に襲われたときに、トラブルを避けるために金を渡し、財布から補填してはいけないのです。
なぜなら生活費のためにやっているのだから。
金があるならそんなことしてはいけないのです。
なぜなら目立つから。
追われる要素のある人間が人里で暮らす理由は「そうしなければいけないから」であって、そこは徹底していかないといけない。
あまつさえ、人目のあるところで人を殺してはいけない(当たり前)。
アクションにおけるリアルを見せたいのにそこらでアンリアルをしかもアクション前に見るマイナスというのは、恐らくとんでもなくでかい。
そこで突っ込み所を感じてしまうと、「なんで銃あるのにナイフに持ち替えるねん」(同士討ちが怖いからです)という真っ当な部分への(軍ヲタ知識不足の)受け手の突っ込みに変な正当性を持たせてしまうことになるのです。

CGに抗うという現代映画における課題を初めて意識しました。
とんでもないアクションですよ。でも悲哀も感じる。