我が家は何故か代々刀好きの家系である。別に富豪だったわけではない。そりゃあ江戸時代の一般農民に比べれば裕福だったろうが、それでも富豪とは言えないのだ。そんな昔の話をなぜ断言できるかっていうと、今住んでいる家が襤褸だからだ。この間雨漏りを補修に来てくれた大工さんがこう言っていた。「こりゃあ築150年以上たってますぜ。何年か毎にちょっとずつ直してきたみたいです」 とは言ってもただ誉めてくれたわけじゃなくて、「これで立派だったら文化財級なんですがねえ」という捨て科白まで頂戴した。
 本当に襤褸い僕の家だけれど、ガタガタ言う扉をなんとか開いて、ギシギシ言う廊下をまっすぐに歩き、突き当たりの、今にも崩れそうな部屋の障子を開け放って中に入り、一度カビ臭い空気を肺一杯に深呼吸して、押入を開けてみる。
 押入一杯に横たわっている白いもの、それは油紙に包まれた刀達なのだ。古刀、新刀、新々刀、なんでもござれ。有名な所では源清麿兼定同田貫長光なんかがある。勿論全部ホンモノのわけはないだろうけど、こんな襤褸家に溢れていて然るべきものじゃない。それにこの部屋はなんだか知らないけど家長しか入ることを許されていなくて、時々親父がこの部屋に入って何回呼んでも出てこないって時があった。緊張した顔でこの部屋に入っていく親父の顔を揶揄して、この部屋を「控え室」なんて呼んだものだった。実際緊張するぐらい親父にとっては大事だったみたいで、子供の頃に何度か悪戯半分で侵入しては殴られた。しかも本気で。
 僕は三年前に親父が死んで、20そこそこで「家長」の称号を手に入れたんだけど、こんな家を貰っても仕方ないし、他にめぼしい財産があったわけでもない。だから「家長」になって一番嬉しかったのは、この部屋に入る資格を得たことだった。そう。子供の時にできなかった悪戯を今やろうって腹。それに、親父が中で何をやってたのか確かめたかったんだ。
そんなこんなで僕は何百振りもの刀達に対面したわけだけだけど、その時受けた衝撃は今でも忘れられない。刀の数に吃驚したわけじゃない。適当に一振りの刀を抜いてみると、刀身は白く輝き、一寸の曇りもなく、明らかに入念に手入れをされている。それを見て、背筋がぞっとした。何の作為もなしに選んだ刀。
 慌てて違う刀を抜き払ってみる。光っている。