エ・アロール

 フランスのミッテラン大統領が女性問題でマスコミから叩かれた時、記者に答えたのが「エ・アロール」という台詞。日本語で言えば「だからどうした」。単純な開き直りとも取れるこの言葉だけれども、その事も無げなコメントは、非常に粋である。日本の某政治家と比べると雲泥の差だ。そりゃ落選もする。ミッテランのコメントに、「恋愛はプライベートなものである」という判断を下し、以降の追求の手を休めたマスコミもまた粋であろう。日本ではこうは(以下略

 話が横道に逸れた。このドラマの主人公は、堅物で不器用な男前をやらせたら天下一品(さらにバツイチ)の豊川悦司が、ついにわかりあえる事の無かった父親の病院兼老人ホームを継ぎ、自らの父親と同じ様な年代の人間と様々な関わりを持つことで、少しずつ変わっていく物語である。

 そう、これは「関わり」の物語なのだ。
 人間にとって年代の差というものは、どういったポジションに在るものなのだろう。自分や周りの事例を見ても、2・3歳の差の「友達」というものは、結構あるような気がする。しかし10歳差の「友達」というのはあまりお目にかかったことがない。ましてや20歳、30歳の差となれば尚更だ。

 老人ホーム、「エ・アロール」の院長である来栖貴文(豊川)は、突然「父親」と同じ年代の人々の群れに叩き込まれる。果てしなく明るい老人や、偏屈な老人。彼らは来栖の父親を表すパズルのピースだ。父親と同じ様な時を流れれてきた人々は、来栖に戸惑いと発見をもたらす。

 来栖は当初、まったく彼ら「老人」を理解できない。見てきたものの量が違うし、生きてきた時間の長さが違う。それはアフリカの原住民と現代の日本の人間との間に横たわる文化の違いと同じ類のものである。来栖は、ひどく近しい場所で異文化を見つめ、また見つめられることによって、徐々に理解していく。

 とまあこんな感じでしょうか。脇を固める人々はとんでもないメンツなのですが、その中でちゃんと主人公している豊川はやっぱり凄いですね。「Love story」の時も思いましたが、この歳で成長ものをやらしたら右に出る者が居ないという彼には「怪優」の称号が最も相応しいような気がします。

 「こんな老人いねえ」とか「高級老人ホームとか言う時点でリアリティが…」?それがどうした。