大体が私がここで書いてることというのは、何かを読んだり見たり聞いたりした時の心象風景であったり色彩であったり空気感であったりするものを、自分なりに言語化したものであって、レビューをしてるつもりが更々ないんだなと突然自覚した。
 なんでそんな不毛なことしてるの?ってことになると微妙な答えしかはじきだされてこないんだけど、一つは自意識だろうなぁ。私もできれば否定しておきたいけど自意識に他ならないと思う。
 また別の一つとして単純な訓練作業っていう部分もある。例えば一冊の本を読んだ時、構造を説明することもできれば現代の社会に照らし合わせて論じたりすることもできるんだけど、できることやってもツマラナイし、あと単純にやってて楽しくない。自分は行動が好奇心に支配されている部分がものすごく大きくて、「楽しそうだからやる」「やってみたいからやる」とかそういうどこのお子様だよっていう衝動そのままで動いてしまうんですよね。
 あとはあれだ。コミュニケーションツール的感覚というか。札出し惜しみしてゲームしなきゃならない状況にないから。別に本音を語ることが−になったりしない状況下だし、(不特定多数の)相手の感覚を感じる為にとりあえず持ち札晒すという、そういう感じ。


って自分に説明したらしいよ。