『SUGAR』(新井英樹 ヤングマガジンアッパーズ 1〜5巻)

 この作者、現在平行してスペリオールで『キーチ!!』という連載もやっているのですが、私は『シュガー』の方しか読んでいません。『キーチ!!』は完結して一気読みが正しい閲覧方法じゃないかと思ったので。
 さて『シュガー』新刊の中に挟まれていた折り込みに、この作品を煽ってこんな文が載っかっていました。

育成されず、発見される。天才とは、そういうもの。

この言が一般的に正しいかどうかは分からないですが、すくなくともこの漫画を評する言葉としては至上のモノだと思います。
 主人公は16歳男子。高校中退して北海道から上京し、板前にでもなるか(本当にこの程度)って時にひょんなことから出会ってしまった「ボクシング」。幸か不幸かこの少年、ボクシングの「天才」だった。
 この作品と面白い対比を為しているのが、ヤンサンで連載中の『ダービージョッキー』。こちらも主人公は「天才」ですが、そのアプローチの仕方が対称的。『ダービージョッキー』は「天才が成長する様」を主体的に描く、つまりは少年誌定番のパターンであるのに対し、『シュガー』では「見つけられてしまった天才」の道行きを描いています。天才がただそこに在るだけでどんな影響を与えるのか。また凡才が天才を見つけてしまった時、凡才は何を想うのか。勿論『ダービージョッキー』でもそういう観点で綴られる物語はあるけれども、『シュガー』の天才は紛うことなき「天に与えられた才」。新井英樹の天才的な言語感覚で繰られる「天才」の行動はあまりにあけすけであまりに軽やかです。しかし読後感は重くもなく軽くもなく。これだけの作品であるのに、心の置き場所に困る。そんな奇跡のような漫画。

(『ダービージョッキー』も間違いなく傑作だと思います。競馬を少し知ってると尚のこと面白いと感じられるはず。なんたって原案が「天才」武豊。少し普通と違う感覚を持った主人公が、時間や様々な出来事とともに成長し、「天才」となって行く様は、武豊自身の「武豊=天才」否定であると思う。主人公の驚異的な活躍の仕方も、武が言ったのなら納得するしかないでしょう)