私は小説に対して漫画に比べ非能動的な人間でありまして、「あーおもしろそうだなー」と感じたとしても、「見かけたら買おう」とは思っても「ぜってえ探してやる!最悪Amazonでも!」とは何故か思わない人間でございます。ということで某人が絶賛してらっしゃった田口仙年堂『コッペとBB団』(その1)を見つけたので購入。読後すぐ『吉永さん家のガーゴイル』(1)(2)(3)と取り憑かれた様に読破。以下感想。
 後手に回ってしまった観が拭えません。失敗した。

『コッペとBB団』(その1)

 この設定を読みとった時に思った第一印象が「レベルジャスティス」だったのは置いておいて(致命的だな)、優しいんですよ。雰囲気とか視点とか文章の距離感が。そういう作家なのかと思って『吉永さん〜』も読んだのですが、書き分けてるのかなんなのかちょっと読み味が違った。懐が深い。
 昔友人が「ダコタ・ファニングをファミレスに連れてってお子様ランチ食べさせたい」と言った事があって感銘を受けつつ同意したことがあるのですが、あえていうならコッペにアイス与えてかいぐりかいぐりしたい*1

吉永さん家のガーゴイル』(1)

ありえない設定 ありえない状況 そして主人公は否応なく事件に巻き込まれていく
ラノベって文学の登竜門であり最後のフロンティアだと思っているの!!

 あからさまに引用元を間違ってる気がしますが*2、キャパ広くないとラノベは楽しめないんだろうなと思うんですよね。「突然喋る無敵石像が家にいついていてしかもそれは町内の福引きの景品」とかいう初期設定で引く人は必ずいるだろうなと。設定でカマしまくってるのに描きたいことは「家族」とかやる人は好きです。むしろ大好き。

吉永さん家のガーゴイル』(2)
 怪盗百色は相当な逸材。次巻からもドンドンおかしくなりそうで期待。捻りに捻って五周ぐらい回ってみたら真っ当、でもバカ、みたいな。

吉永さん家のガーゴイル』(3)
 傑作。静かに染み入るようなせつなさ。「動物は生きているんだから食べちゃダメ」って言い出す系のベジタリアンに読ませてみたい。しかしなんだ。御色町は杜王町化してるな。


 後手に回った観ってのは、1.今まで読まずに来た事 2.先に「家族」を言われた事 の二つが理由ですが、1に関しては作者がまだ現役バリバリなのでむしろ「間に合った」と言うべきであろうと思う。隆慶に作者が死んだ後出会ってしまったことを思えば。痛恨。

*1:こういうのをロリコンとか言う類の人々は魂が重力に囚われてると思う

*2:ちなみに猫玄『パニックまっしゅroom!』1話より引用