昔はI先輩の影響で巨人を応援していた。ぶっちゃけどうでもいいからだ。NHL NFL 欧州サッカーを観る毎日を送っていた自分としてはNPBなぞどうでもよかった。二岡のバッティングだけは好きだったが。


 そこからアイザーマンが引退しバルサの絶頂期が終わりを告げ、NFLだけを追っていたがブラウンズはいつ終わるとも知れないドアマット生活が続き(進行中)、キヨシが監督になってくれた時からベイスターズファンになった。


 なかなかつらい日々だった。ブラウンズで慣れてるつもりが、一方でパッツファンでもあった自分には耐えがたい日々だった。


先取点取られてそのまま得点ゼロで負けは当たり前。
エラーで取られて負けるし、特になんも悪いことしてなくてもただ負ける。
たまにこちらが先制し、そのまま9回まで行ったら山口で負ける。
久々勝つときは大量点。典型的な弱小チームである。
本当に弱かった。分かってもらえないぐらいに弱かったのだ。
しかも三年続いた。


今、日本シリーズで2勝している。
キヨシは辞めてしまったが、成長した筒香や桑原や宮崎を観てきて、自分はまだベイスファンであり続けている。じゃあ応援やめよう、と手を引くには選手が好きになりすぎてしまったからだ。番長や高崎、井出に下園。弱かったあの時、愛すべき選手たちは確かに存在していたし、三上にヤマヤス、今永濱口と今のチームを支えてくれる選手も大好きだ。山口は帰ってくんなy


びっくりするぐらい弱かったチームが、確かに強くなったと思えたのは今年のことだ。
メンバー表を見ながら、「スタメンの力だけなら優勝争える」と中日ファンの連れに言って失笑されたのは2016のオープン戦前のことだ。
でも去年は思い知らされた。まだ弱いチームのままだと。


今年になってから、強いチームの勝ち方ができはじめた。劇的でもなく粘り逆転ができる、そんなチームになって、そんなチームを観る事ができていることが嬉しい。
あと1戦も野球が観れる。有難い。ただただ。


可能ならば、あと2戦。選手たちのために。

映画『RE:BORN』(下村勇二監督)

 友人の誘いで加賀市文化会館における試写会に足を運びました。

 事前調べで主演のTAK∴さんのアクションがすげぇ、という話だけを仕入れて参上仕った訳でございますが、前情報通りの素晴らしいアクション。クソの極みの視聴環境(文化会館やし)でありながら、見入ってしまいました。


 とはいいながら
 観ながら考えていたのは、「絶対大ヒットはしない」という確信。だってわかんないもんね。坂口さんが異常な動きしててもわかんないもんね。斉藤工目当ての女の子が溢れた会場は微妙な空気に包まれたわけです。

 個人的に、この手の映像世界において前提条件としての「リアル」という言葉がCG普及前後で完全に意味をたがえていると思っています。受け手の我々の認識は「何やろうが映像上実現できるんでしょ」と無意識に思っている。
 そう、無意識に。

 故にこの映画のアクションは大衆には理解されないのです。CGを用いずに限りなく現実に基づいたであろうこの映画のアクションは、その前提に立たなければ理解されない。切ないなと思いながらの視聴でした。

 全体を通して言えば、ストーリーはクソです。アクションを観る映画なのでそれはいいとして、マイナスなところを言えば、この手の映画を2016現在に撮るのであれば、受け手に「それはリアルじゃない」と思わせる全てを、細心の注意を払って無くしていかなければいけないんだと思います。元特殊部隊の凄腕がコンビニの店員をやるのはいいがその店員っぷりは完璧でなければいけないのです。
なぜなら生活費のためにコンビニやってると思われるから。
コンビニ強盗に襲われたときに、トラブルを避けるために金を渡し、財布から補填してはいけないのです。
なぜなら生活費のためにやっているのだから。
金があるならそんなことしてはいけないのです。
なぜなら目立つから。
追われる要素のある人間が人里で暮らす理由は「そうしなければいけないから」であって、そこは徹底していかないといけない。
あまつさえ、人目のあるところで人を殺してはいけない(当たり前)。
アクションにおけるリアルを見せたいのにそこらでアンリアルをしかもアクション前に見るマイナスというのは、恐らくとんでもなくでかい。
そこで突っ込み所を感じてしまうと、「なんで銃あるのにナイフに持ち替えるねん」(同士討ちが怖いからです)という真っ当な部分への(軍ヲタ知識不足の)受け手の突っ込みに変な正当性を持たせてしまうことになるのです。

CGに抗うという現代映画における課題を初めて意識しました。
とんでもないアクションですよ。でも悲哀も感じる。

食戟のソーマ』(ジャンプコミックス)

 鳥獣戯画から始まって(?)、手塚治虫の世代において9割方広げられ、その後は残り1割と技術更新を綿々と開拓するしかなくなったのです漫画は。この点においての議論はバッチコイなのでさぁこい。来ないけど。

個人的にジャンプの編集はその技術更新の権化だと思っていて、その思考を暴露した『バクマン』は漫画史上において革命的な位置づけをすべきだと考えております。(鳥山明の『ヘタッピ漫画研究所』はより漫画家寄りの視点だし、漫画家視点と編集者視点の重心の違いはある)

 さて、ソーマは「漫画」の究極形に近いと思ってます。
 故桂枝雀が仰られた「緊張と緩和」は「緩和と緊張」でもあるのです。振り幅の大きさこそが笑いと読後感を生むのだという確信的な作話。 コミケで使われそうなエロ要素とBL要素。読んでいても正直存在価値を疑う「食戟」というバトル要素(作中で一度その存在価値の否定までする)。

 んなこたぁどうでもいい(えっ

 語りたかったのは主人公である幸平創真のサイコパスっぷりです。
 久々に震える程欠けてらっしゃる主人公に出会えましたね。どっからどうみても基地外なんだよなあ。
 バトル漫画の癖に負けても負けても『糧にしますし^^』で実際糧にしながらどんどこ最強に近づいていくという学習型AIかな?みたいな異常性。
 もうちょっと苦しんでくんねえかな?
 作者本人もちょっとアレかなと思ったのかどうなのか、道中の主人公の親父のコメントでソーマ君のそういう特性を押し出したつもりが結果的に基地外認定を推し進めただけじゃないのかあれ。
 『それが天才の条件です』とか思わないです。本物の天才は悔しがりもせんやろ。
 マジでAIに近いと思うし、調べてもないけど絶対同人誌で責め側にも受け側にもいる比率が低いと思うんだよね。だって受けならタクミとか丸井とかおるし攻めなら葉山とか黒木場とかいるし。

 昔は徒然草平家物語辺りの書き出しは諳んじられてたのですがね(挨拶

 年は移ろい往くものでありまして、私も齢37になろうとしております。
 年齢以外が若輩でありながらガキの二人もこさえていっぱしの大人みてぇなツラァしながら生きておりますわけですが(江戸っ子)、時間ってなぁすげぇですな。特にあたしゃあここ数年来で自業自得ながら黒タイツ履いた高校生から現在は老若男女入り混じったお客様と毎日お勧めネタの営業トークをやりとりする毎日なんですがね。ちなみに一年働いて会話した上でストライクゾーンど真ん中の女性は一人でした。世間様の皆様、人間のド真ん中なんてもんは万人に一人なんですぜ(220日働いて勤務日平均5人は間違いなく喋ってるからね)

 ユニコーンが未成年だった頃から好きでね。EBIは最高なんだけどそれはさておいて、奥田民生がその昔『イージューライダー』で言ったことには

 名曲をテープに吹き込んで
 あの向こうの もっと向こうへ

 とありまして、この同時代性の乖離ったらないと思いませんか

 黒タイツを履いてる現代っ子にしたら(拘るなぁ)テープに「吹き込む」ってなんだよと 「吹き込む」て。
 そうなるわけですよ。思えばやつらは色気づいたときにゃあ携帯電話を持ち、あまつさえスマホを駆使して男は無修正動画を見て女はつべがあるもんで身銭切って音楽を買う習慣がないわけでね(偏見)。



 名曲をitunesでダウンロードして
 あの向こうの もっと向こうへ



 ノスタルジックさがたんねぇなぁ!

 現在の私は子供の面倒と家事メインでやりながらそこそこ安めの時給で週44時間程働く主夫と化しておりまして

 それはそうとて(えっ)、ゆとり世代というものに言及したく思い筆を執りました次第でございます。
 個人的にゆとり世代といいますか、わけぇ連中に共通してるなと思うことが一点ありまして、「今時の若い者は云々」という言葉が800年前の文献にも出てきてるんだぜって程に時代性のない言葉だということは重々承知の上で、戯言を記させてもらいますと

 自己プロデュースができない人が多いな、と思います。もっと言うなら「ありのままの自己で受け入れられて当然」と思ってる人が多い。それはそこそこ多様なところに派生していて、「やろうとしたんだからいいじゃん」とかの言動がたまに聞こえてきたりして。(上記の言葉を吐いた小3のクソガキには「やろうとしたとかどうでもいいんじゃ!ちゃんと終わらせることが全てなんだよ!」と言っときました憤怒)
 なんでそんな不遜でいれるんですかね。
 なんでそんなに許されてきてんですかね。
 (自覚的に)汚れずに生きてこれたんですかね。
 
 わかんないんですよね。

ドラマ『重版出来!』おもろいです

一年経って

経って字を見ると最近尼子経久しか出てこない(挨拶

一年経って、サンデーの地位がさっぱり変わらない件について
そら変わるわけねえよ。単純におもんねえもん。
と、『じゃじゃ馬』『からくりサーカス』の時代のサンデーは三大誌で唯一毎週買ってた身としては切なさもあるのである
(じゃじゃ馬は生涯で一番最初にハマりまくった漫画です)。

「サンデーだけは編集が本社でネット見てる」(編プロにすべてをなげうってる)とかいわれてましたけど変わったんですかね?
やる気ないなら俺にやらせてくれませんかね?絶対出来ると思うんですけどね

なぜか一年経ったら寿司握れるようになってるんですよねえ…(慨嘆そして近況報告

雑感

サンデー編集長の意思表示

最近のサンデーは立ち読みさえしない。掲載順ページで銀の匙の有無を確認してそっと置く。そのぐらい面白くない(断言)
面白くないのに売れるわけがない。相当焦ってるんだろうなあ。
でもなんでそうなったの?ってとこが重要じゃないのかしらね。じゃじゃ馬グルーミンアップ連載中は毎週購読してたし、実際面白かったと思う。じゃぱんとか植木ととか、独創性のある漫画が面白かった。それら+あだち充高橋留美子らの安定感。全体的なバランスが取れてた。
今は本当に銀の匙以外面白くない。というかここ10年で面白かったのは銀の匙とケンイチしかない気がする。
ぶっちゃけ編プロに押し付けすぎたんやろ。編集業務のブラックな部分を編プロに丸投げして小学館編集はデスクでまったり。編プロなんて体続かなくなって辞めてく仕事やし、編集としてのスキルの継承が途切れたんじゃないのか。だから今こうなった。