大暮維人について。

 エヴァんげりオンとかいう漫画が華々しく世界に閃光をまき散らしセカイ系というよくわからない括りが出来てアホが皆真似したり変な市民権を得たりして色々メンドイことになってもう何年も経ちますが個人的には「セカイ系」は括りも含めて嫌いです(以上棒読み)。

 しかしながら、物語を綴る手段としてごく狭い範囲の世界観の中で箱庭細工を作るってのは少なくとも漫画においては非常に有効な手段であるといえよう。極端な例をあげればコナンや金田一、あとはナンセンス系ギャグ漫画等がそれである。一回毎、複数回毎の違いはあれどストーリーはその中で閉じていき、基本的にその漫画の全てを通じて動くストーリーはほぼ無いに等しい。コナンについては「ある」と仰る識者の方もおるであろうが、そんなものは無い!(敵増えた)
 だが、これはほぼ全ての漫画において量の多寡はあれ、取り入れられている。特に週刊漫画では週毎の人気投票やら感想やらで連載回数が決まってしまう傾向が強い為、どうしても短いスパンのドラマチックなストーリーを作ろうとし、構造を見るとルーチンなものになってしまうのであろうと思う。そして同時に漫画を面白くする手法であることも間違いないのである。

 異端は生まれるものである。あたかもビッグバンで始まりし宇宙の成り立ちの如く極限まで箱庭的なニアリーゼロから始まり、外に外にベクトルを向けてセカイが膨張していってしまう漫画家。表現能力も無い岡田先生の場合「キモい」で一瞥もせず切り捨てられるが、卓越した視覚的な表現能力を持ち合わせてしまうと大暮維人になり、「あぁー・・・」という微妙な気持ちとともに毎回話を追ってしまうことになる。

 近頃の大暮維人の表現力には本当に驚いている。『天上天下』の何ヶ月か前の「宗一郎を呼ぶ亜夜」は立ち読みしながら鳥肌が立ったし、今週の『エア・ギア』のラスト前の敵キャラとラストのアギトの絵は凄いと思った。
 『天上天下』は手の施しようが無いレベルで死に体なのでもう無理だが、『エア・ギア』は週刊連載が幸いして、まだ名作になれる可能性があると思っている。

 しかし皆は思わないか?今のオーグレの表現力をもってしてエロを以下略(えぇー)