私とT安

 T安さんと出会った時のことは覚えていない。少なくとも、外見から「そんな」人だと看破できなかったことは確かである。
 年齢を聞いて「オトナな人なのだろうか」と期待、もとい勝手に判断してしまったことは彼に対して失礼であったと今は思う。色んな意味で。

 T安さんその人を端的に言うならば、「善意の人」ということだろうか。
 自分以外の他人への行動の全てが彼にとっての善意であり、含みのようなものは基本的に持たない。私の目に映るT安さんはそんな希少種だった。

 今回は、私の心の秘密箱を開いて、ありし日のT安さんを偲ぼうと思う。


 さてT安さんは女性にモテる人であった。
 あの器の大きさ*1と包容力*2を鑑みれば、当たり前である。全く以って羨ましいとは思わなかったが、確かに魅力的ではあった。顔でも財力でもなく、精神性でモテるということはなかなか素晴らしいことである。

 ある日、そんな彼をネタまじりに非難してみたことがある。
 「そんなに浮気ばかりして彼女に悪いと思わないのか」と。

 私は本気でそんなことを言ったわけではなかった。既に引退後あったため(何かから)、自分がそんなことをするわけはなかったが、据え膳食わないことを目標にしている成人男性が正常だとは思っていなかったし、実際T安さんが行う浮気というのも大したことではなかったからである。

 だがしかし、彼は言った。「何言ってんだバカ。あれは人助けだよ、人助け」

 さすがに予想していなかった。
 正直私はその時、戦慄した。なぜなら、T安さんは本気で言っていたからである。言い訳の様に口から出た、のは間違い無いが、あれは本気で本音であった。

 『こいつぁすげぇや』と思いつつ、せっかくだしそのズレっぷりを攻め立てみたところ、10分程後にタバコを吸いつつ「人助けはねぇよな」と苦笑しつつ誰にともなく言うT安さんのあの表情を私は忘れられない。『アンタ本気だったじゃん!』と言わなかった私を褒めてあげたい。

 世の中は広い。T安さんは私の中の【人間】の思考可能範囲を拡げてくれた恩人として、今も心の嫌箱((c)西原理恵子)の中にしまいこんでいる。

*1:ただし大き目の穴が空いている

*2:あれだけ押しに弱い人もいない